凛として時雨は無機質なのか
つれづれなるままになんとなしに凛として時雨を聴いていた。
あくまでこれは備忘録なので説明すべきかわからんが、とにかく凛として時雨はバンドだ。
キワキワに尖った鋭角的なギター(私の言葉ではない)に破滅的なサウンド、語感。歌詞に意味は特にないものと思われるので、特徴といえばあとはダブルハイトーンボイスということか。
2005年辺りに全国流通版である「#4」が発売、そこからは・・・まあwikiれ。
とにかく衝撃的であった。 らしい。
世代ではないので。
それは衝撃以外の何物でもなく(というとそんなわけでもなく往年のナンバガファンは「お?」となったとかなってないとか)
ハイトーンボイスと鋭角的なギター、すべてを破壊するかのようなドラミング、それらはひたすらに空間を破壊してゆく機械であるかのようで、そこがカッコよかったのだ。うん、この表現でいいか。「カッコいい」でいいや。
そんなわけなわけで「凛として時雨=無機質」 というイメージがどの人間にも潜在的に植え付けられたはずだ、と思う。
MVだと全員無表情だしね。
これが2ndミニアルバムになると最終曲で感情的だったり、その次に出た1stフルアルバムとかになるとしょっぱなからシャウトしてて感情的だから無機質っていうより怖さが増したというか「凛として時雨=ヤベーくらいカッコいいヤベー奴ら」になったわけだけど、1stミニの「#4」では無機質でした。無機質のカッコよさ。9mmの泥臭さとは別アングルのカッコよさ。あーなるほど、だから共存できてたのか。(書きながら勝手に納得した。)話を戻そう。
前置きが長くなったが、私が言いたかったというか感じたのはこの先のことだ。そしてそれだけだ。
そんな時雨の#4を聴いて私が受けた感情は、
「青い。」
だった。
無機質の対極にあるのは「泥臭い」であるが、その泥臭い の隣くらいにあるのがこの「青い」であると思う。
私が 青い と感じたのはきっと#4を聴く前にナンバーガールを聴いたからであると思う。
ナンバーガール。酒と青、ロックと青さ、そして鋭角性。冷え切った時代に福岡から北上し、北海道を熱気に沈め、解散したバンド。
凛として時雨にナンバーガールの血が流れているのは言うまでもなく、ちゃんとTKさんが公言したりしてた気がする。
すまん、文章がまとまらん。〆に入る。
時雨は今でも無機質でい続けている。初期から今までのこの10数年間ずっとである。天才です。天才。
しかし1stにはまだ空間破壊マシーンと化す前の青さが感じられたのだ。
やっていることは2nd以降と変わらないはずなのに、何なのだろうかこの感覚は。なんやろ。青さの哀愁、虚しさを感じる。センチメンタルだ。センチメンタル過剰。何故か時雨で涙が出てきそうになった。なんでやろ。まぁええや。イナザワくん、イナザワくん。今日も、また、ビールを飲もうじゃないか。そんな酒の香りがしたから、懐かしい酒の香りがしたからこそ私は涙を誘われたのではないだろうか。
赤い誘惑ではなく 青い誘惑によって。